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a IESE class of 2014, strategy consultant has focused on emerging economy and innovation management writes about learning from MBA, feeling from daily life, with photography. Twitter : @dsaga


by dsaga
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パワーの原則

パワーの原則_e0019200_21263430.jpgパワーの原則―影響力を発揮しつづけるパワーとは

他人との関係、影響力に関して書かれている本。隙間時間に読み進めて、読み終えたので一度振り返っておきたいと思う。

7つの習慣と関係しながら話が展開されていくが、メッセージをまとめると、

「互いに尊敬しあえる関係をつくりましょう」

ということ。また、本を読む前から、そして本を読みながら、「パワーとは何だ?」ということを考えていたが、直接的にパワーとは○○である、といったようなことは(おそらく)書かれていない。しかし、おそらくパワーとは、人に影響を与えるのに行使する”もの”のことだ。

最初に大きく、パワレスか何らかのパワーを発揮するか、で分けた上で、そのパワーを3つに分けて分析している。パワレスとは、人に影響を与えることをしないこと。無気力であり、受動的な生き方であり、諦めである。3つのパワーとは、

1. 強制のパワー
2. 実用のパワー
3. 原則中心のパワー

である。それぞれのパワーをドライブするものは、

1. 強制のパワー: 恐怖
2. 実用のパワー: 公平さ
3. 原則中心のパワー: 尊敬(honor)

であるとしている。ちなみにパワレスは”疑い”である。


強制のパワーの行使は、相手に何らかの”恐怖”だったり”罪悪感”だったりを与えて相手をコントロールすることである。そのコントロールは、常に相手が”恐怖”や”罪悪感”を感じるだけの何かを自分が持っていることと、それを相手に対していつでも行使できる状態に自分がいる、という前提のもとに成り立つ。従って、このパワーを行使する人は相手に(常により大きな)恐怖、罪悪感を与えるために活動し、常にそれを相手に行使できる状態でいるために相手に張り付く。

結果として、強制のパワーを行使する人は、前提を守ることができる限りの範囲で”服従”を手に入れる。


実用のパワーの行使は、相手に何らかの”価値”を与え、それに応じた”価値”を受けとることで相手をコントロールすることである。そのコントロールは、常に自分が相手にとって”価値のある”何かを握っていることであり、相手が自分にとって”価値のある”何かを握っているという前提のもとに成り立つ。従って、このパワーを行使する人は常に取引相手にとって”価値のある”何かを持ち続け、また自分にとって”価値のある”何かを持っている人を探す。
そしてその価値の交換が成り立つ間のみ関係し、それがなくなれば関係も終わる。

結果として、実用のパワーを行使する人は、前提を守ることができる範囲で”合意”を手に入れる。


原則中心のパワーの行使は、お互いの価値観でありそれに従ったビジョンでありに照らして、お互いにとって最善の選択肢を(ときに創り)選択することである。ここでコントロールという言葉が出てこないのは、逆説的だが、コントロールする/しない、極論するとパワーを行使する/しない、といった意識を手放した結果として成り立つパワーだからだ。

結果として、原則中心のパワーを行使する人は(行使するという言葉に矛盾を感じるが)、関係する人間全てに関わる”最善”を手に入れる。

そして本の中で、原則中心のパワーをドライブする尊敬(honor)を得るための、すなわち尊敬される人間に必要な条件が10書かれている。

1. 諭すこと
2. 忍耐
3. 優しさ
4. 教わり上手
5. 受容
6. 親切
7. 知識
8. 愛の鞭
9. 一貫性
10. 誠実・統合性

(…どうも書いていてスッキリしない。MECE感が無く、レベルがあっていない気がするからだ。)

上記の通り、10こ全てを実現すれば尊敬される、ということはおそらくありえないし、尊敬されるために、という力に従って動いてる時点で尊敬は得られない、と個人的には考えている。

ただ、自分が生きていく中で上記を意識する価値は大きい。

自分が常に正しいとは全く持って思わないが、相手と異なる意見を持つことができているうちは、ぶつかっても諦めずに相手を諭していきたいし、相手が変化しようという意志を持って活動しているならば、その過程での過ちはぐっと耐えられる自分でいたい。そして優しさをもって相手が成長できるサポートをしたい。
上に書いたとおり自分が正しいとは全く思わないが、やはり主張する中では”オレが正しい”と思い込んでしまうこともある。そういった感情は、好奇心を持って相手から”学ぶ”というスタンスを持って根元から崩していきたい。
相手のすべてに裏づけを求めるのではなく、相手の価値観や信念といったものを無条件で受容する心の余裕と安定を持っていたい。
自分の自分からまげて相手に受容れてもらうような、lose-winの関係はつくるつもりはないけど、その伝え方については、相手の気持ちや立場を考慮し、親切に伝えられるようになりたい。
客観的な常識や一般的な知識、そして相手の過去に照らして相手を判断するのではなく、相手の希望であり、将来に対するビジョンであり、これからの可能性までも理解までを含めた知識を持ちたい。
そしてその場その場の良い/悪いの判断ではなく、最終的なGoalからみて判断し、軌道修正できる鞭を振るえる人間でありたい。

上記もそうだが、自分の心、頭、体(行動)の全てを、瞬間風速でその場その場の外からの影響によって変えていくのではなく、全体としては変わらない、全てを統べるような価値観を持ち、一貫性を持った人間でありたい。


…無理やり10この観点から文章にしてみたが、やはり重複感がある。
この本、シンプルにメッセージをまとめると厚さは1/3程度になるだろう。

ここに書いたようなことを守っていこう、とは思わない。
ただ、自分として強く思うのは人間としての”一貫性”の大切さだ。他人を見ていてもやはり一貫性を感じられない人間を信じるのは難しい。そして自分として心にある、保ちたい一貫性を体で貫いていくこともまた時に難しく感じる。

自分の根元が何なのか、意識しながら経験を重ねていきたい。
by sagad | 2006-01-29 16:27 | Book