a IESE class of 2014, strategy consultant has focused on emerging economy and innovation management writes about learning from MBA, feeling from daily life, with photography. Twitter : @dsaga


by dsaga
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自分の人生に責任を負えるのは自分しかいない。これは当たり前にして大切なことだと思う。

なのだけど日常の中で自分の中に違和感を抱えながらもつい引き受けてしまうことは多い。

どうせ最後に責任を負うのは自分だし、と大切なだったはずのことはいつの間にか自分を慰める、自分が現実を受け容れるための理由の1つに成り下がっていたりする。

気がつけば責任しか負っていないように感じられるようになっていたりする。責任は負っている、でも自分の人生を自分の思い通りにする自由は与えられていないと。

自由にする / しないも含めて自分の責任だと分かっているはずなのに。



そんなときは、どんなささいな事でも(勿論大きいことでも)、何んでもいいから今まで受け容れていたものに対してNoをつきつけてみるといい。

これまでと違った反応が返ってくるかもしれないし、実は自分のYes/Noにかかわらず相手は同じ反応を返すかもしれない。

ただ、上記のプロセス -自己がなんとなくで受け容れているものを探し、それに対してNoを言うと決め、実際にNoといい、(これは自動的にかな)その結果を得る- に意味がある。

なんとなくで物事を受け容れているうちに、いつの間にか自分には意志がない、Noという力がない、Noと言ってはいけない(これまで受け容れることで得てきた結果と違う、未知の結果を受け容れなくてはならなくなる可能性があるから)等々の自分が勝手に植えつけていた自分のイメージ、もしくはそんなイメージを作っていることにさえ意識できていなかった自分を変えることができる。



自分の人生、全部が全部自分の自由になるわけじゃない。

自分が望む結果じゃなくても受け容れないといけない時もある。

その結果がでるのに自分以外の力が大きく働いていることもある。

でも、そんな自己でどうしようもないことって、てこれまで生きてきた中で経験してきたような量あるんだろうか。

本当は自分が影響を与えられた結果ってもっとたくさんあるし、本当は自分でどうしようもない結果ってもっと少ないんじゃないだろうか。



自分で自分の人生に影響力を行使できるってことを実感するという意味で、自分を自由にできるんだと実感するという意味で、何か今まで流されていたものにNoをつきつけるというのはとっても意味があると思う。
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by sagad | 2010-11-11 21:17 | Business
ふと頭をよぎったことを文字にしておこうかと。


アラサー、特に30を越えたあたりというのは多くの社会人にとってもう一度自分の夢を見直すときなのではないかと思う。自分の周りにいる人をサンプルにして考えるに、この時期のおそらく一般的な社会人は、

・自分の裁量がそれなりに広がって仕事が楽しくなってきていて、
・特に古くから自分を知ってくれている上司であり部下でありから信頼をよせられるようになり、
・部下を持つ経験を通じて、いい意味で自分のかどがとれて人として成熟しはじめており、
・所属する組織の中で自分が好きにできる領域というか分野というかが多少なりとも築けている

そんな一方で、

・1回もしくは複数回にわたる自身の異動もしくは上司の異動も経験していて、
・結果として上記で築いてきた一部の仲間との信頼関係や自分の得意分野を上手く噛みあわせることができずに歯がゆい思いをしたり、
・とはいえ少々成熟した自分は新人の頃のようになりふりかまわずぶつかり合うこともできず、どうすれば上手くやっていけるのかななんて悩み、、
・一方で未だ残っている未成熟な部分がもろもろを疎ましく思うことを自分で諌めてみたり愚痴ってみたり、
・そんなこんな自分の中で折り合いを付けてるうちに、新しいメンバーで上司とうまくやっている人にうまく立ちまわられて余計やりにくくなって悶々としたり。それが年下だったり後輩だったり、自分としては全く認められない人だったりしたりして。


誰だこれ?って話なんだけど、自分の周りを見てるとアラサーに該当する人は結構な割合で上記の何かしらを経験している人が多い。勿論こうして書いている僕も一部はしっかり当てはまるところがあったりする。


で、そんなこんなを抱えている自分であり知人でありを見ていて気づいたのが、

”そもそも何がしたいんだったっけ?”

という話。


おそらく一般的には、社会人の多くは若かりし頃は組織の中に自分でないと立てないポジションがないので、自分の夢に向かって素直に走っていたと思う。夢があるのにそこに向かわない理由がわからないし、ましてや立ち止まる理由も諦める理由も見当たらないわけだし。

それがアラサーになり、自分でないと立てないポジションができはじめ、現実に充実感を覚え、その組織で活躍していくうちに、段々と自分の夢が薄まっていく。

当初描いていた自己実現への欲求は、気がつけばその組織の中で活躍することで得られる周りからの賞賛であり、早期のプロモーションであり、自分が裁量を持ってできる仕事の範囲の拡大によって、周りに承認されることによって満たされていると感じてしまいはじめる。

周りの高まる期待に応えることがチャレンジだし(決して簡単にできるものではない。ましてや継続的に)、それができることが自分としても嬉しいし、組織としても嬉しいし。利害が一致して走るうちにだんだん自分が当初描いていた夢とは違う方向に走って行き始める。


で、変化によって立ち止まる。


自分が新しい環境に行くのかもしれないし、信頼の厚かった上司が異動して、これまでまったく付き合いのなかった新しい人が上司になるのかもしれない。信頼関係を上手く築けずに自分の得意分野が認められなくなってしまうかもしれないし、そもそも会社の戦略の変更によって重点投資領域が変わり、自分の得意分野の価値が突然下がるかもしれない。いくつかある。

ただ結果として起こるには、自己実現欲求を隠していた承認欲求を満たす要素がなくなり、これまで満たされ続けることで知らぬ間に大きくなっていた承認欲求さえ満たされなくなるということだ。

で、どうしたものかとなるわけだ。

このとき往々にして選択されがちなのが、承認欲求を満たそうとすることだ。上司との信頼関係をなんとか築こうとする、新しい仲間との関係を深めようとする、新しい分野について学習し、自分の幅を広げようとする。自分の過去の経験等を整理し、自分が何が出来る人間なのか、自分の価値を分かりやすくする等々。

上記は良いことだと思う。プラスに考えれば期せずしてuncomfortable zoneに身を置けたわけだから新たな成長機会として捉えて活用するのはとても良いことだと思うし、新しいteamとしてperformanceを上げるためにも必要な取組みだろう。



ただ、ここで言いたいのは上記だけに集中して良いのか、違うのではないかということだ。



上記は承認欲求を満たす手段だ。アラサーになる過程で埋まってしまった、承認されることにすり替えられて満たすことの出来ていなかった自己実現の欲求を掘り起こしもしないし満たしもしない。再び新たに自分の得意領域を築き、自分の幅を広げ、承認欲求を満たし、そしてまた次の変化にぶつかり同様にしていくのか。勿論そのたびに自分の幅は広がるし、変化に対応するの力も磨かれるだろう。

その会社・組織での仕事が100%自己実現に重なっていればこれでいいのだ。しかし本当にそうだっただろうか。心のそこからこの会社での仕事こそが自分が一生のうちの多くの時間を投資してなすべき仕事なのだと胸を張れるだろうか。


なんとなーく、そこまで人生であり仕事でありにアツくこだわっていない、いや本当はこだわりたいはずなのにそれなりにオトナとして洗練されてきた?自分がそれをさせないというのかな、というのがアラサーなのではと僕は感じている。


というようなアラサーにとって上で書いてきたありがちなシチュエーションは、再び自分が何をしたかったのか、自分の夢の実現へ自分をadjustする機会としても活用するべきだと思うのだ。




自分の人生の責任をとれるのは自分だけなんていうのはわかってる。ひとりよがりのやる気だけでは世の中うまく動かないなんてこともわかってる、でもそんなそのやる気なくして人を動かすこともできないなんてことも頭のどこかでわかってる。自分に未熟なところがあるなんてことはわかってるだけどそんなところだけじゃない、これまで築きあげてきた、結果を出してきた自分がいることだってわかってる。


目の前の環境に自己を対応させることも大事だおともう。ただその環境が本当に自分のいたい環境なのか、今悩んでいることの先に本当に自分のやりたかったことはあるのか。逆に自分の本当にやりたいことから逆算したときに、今悩んでいることは悩むべきことなのか。


もう一度見直すときなのだと思う。
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by sagad | 2010-11-07 15:48 | Business

国をつくるという仕事

この金曜日は久しぶりにグロービスIMBAのセミナーへ。スピーカーが西水美恵子さん、感銘を受けた”国をつくるという仕事”の著者であったので。

やはりこういった講演に慣れられているのか話し方が上手い。言葉の緩急、視線のおくり方、オーディエンスとのコミュニケーションのとり方。なるほどなるほどと感心そして学習。

過去に自身の腕の中で、脱水症状というだけで、息を引き取ったナディアに導かれるように走り続けてきたworld bankでの話その後の話、そのなかで見て経験してきた世界のpovertyに関する話、衝撃的だった。

近年新興国への関心は、市場としても生産拠点としても高まっていて、コンサルティングのテーマとして上がってくることも増えている。BOPという言葉も生まれて久しく、そのボリュームゾーンを以下にして捉えることができるかという点に課題認識をもたれている企業も多い。僕自身も先日インドへいってきたばかりだ。

それでも、僕がこれまで見聞きしたインドと、西水さんの話にでてくるインドは全く違う。本当に同じ国の話をしているのかと疑いたくなるほどに。勿論目的によって使う尺度であり見るべき観点は変わる、にしてもだ。自分の無知を恥じた。


自分の人生、何をなすためにいきるのか今一度考えたい。
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by sagad | 2010-11-06 23:45 | 未分類