a IESE class of 2014, strategy consultant has focused on emerging economy and innovation management writes about learning from MBA, feeling from daily life, with photography. Twitter : @dsaga


by dsaga
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息つぎ

週末でプロジェクトに一区切りついた。ぐっと水の中に深く潜っていて、ようやく水面に浮上できたような感覚。ここで少し息つぎをしてまた潜っていく。ここで大切なのは、積極的に仕事を忘れて自分のやりたいことをすることだ(^^)

Clientが直面している現実に休みは無いということは自覚している。一方で息継ぎすることなくずっと水の中にもぐっていることができないこともまた自覚している(息継ぎのタイミングは勿論調節している)。

長期的に見れば今休むことは大切なことなのだ(こじつけ?)(^^)


息つぎとは関係ないけど、前々から自分が感じていたこと、”心は当事者・頭は第三者”というスタンスが大切だと感じる。Clientと共に意志をぶつけあい確認しあい、成長のために頭をつかいディスカッションを重ねて、体を動かして感触を掴んでいく時間が長くなるほどに感じるのだ。
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by sagad | 2007-09-29 19:20 | Business

ビジョナリー・ピープル

e0019200_19125239.jpgビジョナリー・ピープル

内容は後ほど。

10/05 00:33
ということだったが気がつくと時間が経ってしまっていた。はやい。

この本の中では”成功”というものの意味を世間一般に言われているものとは異なるものとして再定義し、その成功を掴み続けている人をビジョナリー・ピープルとして、3つの観点からみている。

世間一般に言われている成功とは、
1. 計画したもの、あるいは試みたものの成就
2. 華やかな成果、なかでも富、名声、権力の獲得
3. 計画されたとおりに完成したもの
4. 特に富、名声、権力を獲得できた記録のある者
これらに対して本当の成功とは、
個人的な充実感と変わらない人間関係を与えてくれる、そして自分たちが住んでいるこの世界で、自分にしかできない成果を挙げさせてくれる、そんな生活や仕事のこと
であるとしている。

そしてビジョナリー・ピープルをみる3つの観点が、
1. 意義
2. 思考スタイル
3. 行動スタイル
だ。

本の内容のサマリは省略するが、この本が良いのは上記3つの観点から”成功”を遂げている人々の人生の一部を垣間見ることができることにあると思う。彼らの生き方や考え方(まさに3つの観点)がそのまま自分の人生に活かせるとは思わないが、読み返し、自分の人生を想像するたびに改めて”自分の”人生をどうしたいのか自分に問いかけるきっかけになってくれるからだ。

そしてこの本を通して僕が感じたのは”自分の日常を深く味わうことの大切さ”だった。

ビジョナリー・ピープルと本の中で呼ばれている人々は誰しもが”強烈な経験”を経て自身の意義であり思考スタイルであり行動スタイルを確立している。強烈な経験とは往々にして苦しいものであることが多いようだ。人生における後天的な深い苦悩であったり、先天的なハンディであったり。
それらが彼らが”自分は自分だ。自分らしい生き方がある”と気づくきっかけになっており、またそうやって生きる道を見つけなくてはならない、結果として他人の当たり前とは異なる人生を生きる必要性を迫る存在となっている。

そういった経験を持たず、恵まれた環境で日々生きていると”自分らしい人生”というものに対する意識が希薄になる気がするのだ。
過去のBlogのエントリーの中で、自分らしさは確実に自分の過去であり現在に存在している。有無を考えるのではなく、それが何であるのかを考えることが大切なのだと書いたことがあったが、それなりに恵まれた環境は、それを深く考えるインセンティブを抑えてしまう気がするのだ。

それでも、成功というか、本当の幸せというものがビジョナリーな生き方にあると考えるのであれば、そういった恵まれた日常にあってもなおその”一般的にある程度”満たされている環境に甘えることなく、自分の意義を探し続け、見つけたのなら逃さないように掴み、向き合っていく必要がある。

だからきちんと自分の日常というものを、自分の感覚で味わっていかなくてはな、と思うのだ(それがしづらいことが問題だというところはあるのかもしれないが)。

そうやって自分の感覚を磨き、日々の経験をその感覚にしたがって選択し、咀嚼していくことで帰納的に自分の意義が見えてくることもあるだろうし、その過程で選択・咀嚼だなんて忘れてしまうような、情熱を傾けられる、それこそ”意義”に出会えるのではないだろうか。

自分の感覚を忘れて、世間が甘いといっているものを漫然と食べて甘い、苦いといってるものを苦いといって時間を重ねてしまっているうちは、この恵まれた環境の中で自分の本当の意義を見つけることは難しいのではないかと思うのだ。



と硬く考えても、意義がないと生きていけないわけじゃない。自分らしい人生を自覚できていなくても時間は流れるし事実として今を生きてる。日々の偶然も楽しく受容れていける楽観・ユーモアっていうのも大事だ(^^)
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by sagad | 2007-09-29 19:13 | Book

Basketball !

この週末は先日はじめたバスケットボールの合宿に早速参加。
知らない人が多かったのだけど、基本的に(知らなくても)もともと同期が多かったので特別気を遣うことも無く楽しむことができた。バスケットボール自体もさることながら2泊3日一貫して行われたイベントへの力の入れようと一体感、そして笑いへのこだわりは相当なものだった。自分の大学時代のサークルを思い出した。

先週の3-4年ぶりの初練習のときに比べたらいくらか体は動くようになっていたけど、まだまだキレも体力も無い(高校の頃と比べたら当たり前なのかもしれないが)。(練習の)開始後何分か経つともうじわりじわりと筋肉に痛みが(^^;)その後その足腰を引きずって練習と試合をしていると、疲労と痛みでもう足が動かなくなってくる。

少し欽ちゃんの気持ちがわかることができたような気がした。

2日目のリーグ戦では、チームメンバーに恵まれて優勝。初参加初優勝ということで、どうやらついていたよう。自分の中でもっと伸ばしたい強み / カバーしていきたい弱みも見えてこれからも楽しめそうな気がしてわくわくしている。

内定者時代から続いているバスケチームのようで本当にみんな仲が良い。バスケで汗にまみれてボールを追いかけゴールを目指しつつ、イベントで笑いの渦にまきこまれつつ見ていても、やはりこういう仲間というのは良いものだと改めて感じた。

自分がいたサークルの仲間ともまた集まってばかをやりたいと思った。
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by sagad | 2007-09-24 20:40 | Life

HAJIME

e0019200_0503393.jpg土曜日はバスケを終えてから身支度を整えて、節々が痛んでいる体をひきずってHAJIMEへ。前から一度行きたかったのでとても楽しみにしていた。Webでみているとどこをみても”迷う”と書いてある。いやいや地図を見るとわかりやすそうな場所にあるし大丈夫でしょうとたかをくくって歩いてみるとびっくり、迷いこそしなかったけどかなり意識して歩いていないとこれは絶対に迷うなと。
e0019200_0533793.jpgお店に入ってみるととてもこじんまりしているのだけど、その中で照明と鏡がうまく使われていて狭さは全く感じさせない(確か14席程度)。カウンターはテーブルにそって照明がはられているので座ると暗さも感じさせない、かといって眩しくも無い。
コースを予約していたので食事のメニューは詳しく見なかったのだけどアルコールの方は、焼酎・日本酒・ワインが充実しているようだった。僕はビールが好きなのでビール中心にオーダーしていたけど(^^;)
e0019200_056329.jpgお店の方の接客も無愛想でもなく、必要以上に話しかけてくるでもなく程よい。

料理はどれもおいしくて、量も丁度良かった。
お店の雰囲気にも、料理の味にも癒されて、とても楽しい時間を過ごすことができた。


あっという間にCloseの時間を迎えていた。
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by sagad | 2007-09-17 00:58 | Life

ばらばら

土曜日の昼は会社つながりでバスケ。高校3年間はひたすらバスケをやっていたのだけど、大学に入ってからは体育でやる程度、社会人になった最初は友達つながりで1年ほど月1でやる程度。東京に来てからはすっかり足が遠のいていた。今回4年ぶりくらいになる。

ジムに通ったりテニスを始めたりしていたので、バッシュだったりウェアだったりは一通りそろえていた。今回ついにボールも買って、前日夜は遠足前の小学生みたいな気分(^^)

当日。体育館に入った時点でその雰囲気やにおいが懐かしい。ゆっくりストレッチをして、ボールをつきはじめる。ドリブルの音が体育館に響く。バッシュのキュッキュッっという音が体育館に響く。久しぶりにシュートを打つ。ボールがゴールネットにかかる音が(小さく)体育館に響く。ああ、戻ってきたんだなという感覚が徐々にわいてくる。

メンバーも集まりだして、ウォーミングアップの練習をはじめる。ランニングシュート、ジャンプシュート、3:2、どれも懐かしいメニューだ。





このあたりから早くも徐々に息が上がり始める(^^;)体力なくなってるんだなー、ジムでランニングしてるのとこうして全力でダッシュしたり切り替えしたりジャンプしたりって全く違うんだなーとしみじみ。

試合になるともう大変。全力でプレイできたのは最初の2-3分じゃないだろうか。ある程度なれて力の抜き方も覚えてきたのだけど、どうしても気持ちが高校生にもどってしまって全力を出す癖が抜けない(はしれてないのに)。

全部合わせて4時間くらいやったのだけど、終わる頃にはもう早くも筋肉痛。普段使ってない関節周りの筋肉は特に(^^;)


それでもかなり楽しむことができた。これからも続けて、もっと長く・全力で・うまく動けるようになっていきたいと思った。
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by sagad | 2007-09-15 23:31 | Life

人は見た目が9割

e0019200_1411167.jpg人は見た目が9割。前々から少し気になっていたのだけど、先日雑誌を買う際にレジの前においてあってので購入(レジの前の陳列の効果を体感しました(^^))。帰ってから早速読んでみる。

"人は見た目が9割"というのは、人が相手から受け取る情報を見たときに、実際に話している内容そのものからは7%しか受け取っていない、後は顔の表情やしぐさ(55%)であり、声の大きさ・高さ・テンポ等(38%)でありから受け取っているところからきている。

大体言葉の内容は伝わる情報の1割で、残りの声色とかも含めて”見た目”といえば、見た目が9割だと。

内容はなかなか面白い。具体的に自分の”見た目”を向上させるためにどうするという話は直接は書かれていないのだけど。僕は読んでいて3つの観点から面白いと感じた。
1. 人の視覚的な情報の受け取り方(プレゼン等で見せ方を考えるときに役立つ(配置・色等))
2. 信頼される情報源(言葉は一番信頼性が低い)
3. ”語らない民族”日本人の表現心理(8つの特徴がある)
1. 人の視覚的名情報の受け取り方
これは基本的にプレゼンテーション資料作成のときにつかえる。簡単なところでいうと色が伝えるイメージだったり(ex. 赤:危険、青:冷静)、人の目の動き(ex. 一般的に左上から右下へ)だったり。
後は本の中では漫画を例にした人の表情やそれを描く角度、演劇を例にした感情を伝えるしぐさ(うそをつくときは伏目がちに眼をそらす等(本当はこれは男性のしぐさで女性はうそをつくときにじっと相手の目をみるらしいのだけど))について触れられている。

2. 信頼される情報源
自分がコントロールできるものは信頼性が低く、できないものは信頼性が高い(どうしようもないから必然的に本音が出てくる)。信頼性の高いもの順に以下のようになる。
1. 自律神経信号
2. 下肢信号
3. 体幹信号
4. 見分けられない手振り
5. 見分けられる手のジェスチャー
6. 表情
7. 言語
言葉や表情を見るだけで相手の本音は計り知れないということだ。チェックができるのは2以降。下肢信号は足の動き。貧乏ゆすりをしている、であったり足の組み方/組み替える頻度だったり。体幹信号は体の動き。必要以上に胸を張っている/すぼめている、相手に対して前のめりになっている/後ろにそりかえっている等。見分けられないてぶりは微妙な手の動き。腕組みをしているときの手の動きだったり。

3. ”語らない民族”日本人の表現心理
日本人のコミュニケーションの特徴。
1. 語らぬ
2. わからせぬ
3. いたわる
4. ひかえる
5. 修める
6. ささやかな
7. 流れる
8. まかせる
詳細は割愛するが、”日本人らしさ”の良い点悪い点が書かれていて面白い。


この本を読んで感じたのは当たり前ながら”行動の大切さ”だった。何かを伝えたいときに言葉だけでは1割しか伝えられない。そこに体の動き・表情・声色の要素が合わさって伝えられる情報は10割になる。

でも、ここで実際に自分がそう信じられていない・行動できていないことをそもそも伝えようとしていたらおそらくそれはうまくは伝わらない。もしくは継続的に伝え続け、集団として動き続けることはできないと思うからだ。

勿論人によるのだと思うし、こういったコミュニケーションの技術を軽視するつもりは無いのだけど(むしろ自分にとっては大事)、こういった技術を身につけるよりも先に、自分が意図せずとも体が表現したくなる・表情に感情がそのまま表れる・声に色がついてしまうような強い意志に支えられた行動をし続けること、その対象を見つけることの方が大切だと感じるのだ。
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by sagad | 2007-09-11 01:41 | Book

めがね

先日父の還暦の誕生日のプレゼントを買いに行った際、自分のめがねも買った。
僕は視力が微妙に悪くて、会議等で前のプロジェクターに写されている文字がみづらかったりする。そんなときにめがねを使う。大学の頃、自分はめがねは一生かけないものだと思っていた。それは視力が良かったこともあるけどそれ以上に似合わないと考えたいたからだ(考えていたというより実際似合わなかったという方が正確か…)。周りがサングラスをかけてみたり、めがねでおしゃれをしてみたりしている中、僕は全く持ってそれができなかった。ちょっとくらいかっこつけたいときもあったのだけど、でもめがねをかけたら鏡を直視できないほどだった。

なので社会人になってちょっと遠くがみづらいなというときに、最初に選んだめがね(今使っているめがね)はシルバーの上半分のフレームの、存在感のうすいものだった。周りから見ると賛否両論あるようなのだけど自分の中ではしっくりきた数少ないめがねだった(本当に数少ない。どれだけ試着したかわからない)。

今回はもう少し主張するめがねを買ってみた。

なんだろう。めがねをかけるとものが見やすくなるのは当たり前なのだけど、何か自分のペルソナになるというかキャラクターに入る手助けをしてくれるというか、よくも悪くも自分にうそがつけるというか周りにうそがつけるというか。そんな機能があるように感じている。

だから今度はまた少し違う雰囲気をまとう背中を押してくれるようなめがねを買った。仕事のときにつけるかどうかは考え中だけど、またひとつ自分を楽しむことができればいいと思う(言葉に直し始めるとどんどんまどろっこしくなっていくけど、半ば衝動買いです(きっぱり))。

まだ少し早いけどもう次は秋冬。夏に比べて身に着けるものが多くなってくる。せっかくなのでそういった様々なものを楽しく身に着けて、この季節もまた楽しんでいきたいと思う。
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by sagad | 2007-09-10 22:50 | Life

伝えられただろうか

e0019200_23362232.jpg実家の最寄の駅に着くと家族全員が車に乗っている。時間ぎりぎりについたのでそのまま食事を予約していた場所へ向かう。車の中でも取り留めのない会話が続く(いつからだろうか。一部で家族全員天然説が言われているのもどうにもこうにもうなずけてしまう(僕は違います)。

家族全員で外食するのはいつぶりだろうか。思い出せないぶりだということだけは確かだ。

食事をしながらなんだろ、ひたすらとりとめのない会話。ビールを少し飲んで、今日という日をお祝いしたい気持ちにドライブがかかってはしゃぐ母親、口数は少ないものの終始嬉しそうな父親、いるだけで癒される祖母、なんというか姉。思えばみんな同じ屋根の下暮らしてきた5人だ。

宴もたけなわのところでプレゼントを渡す。還暦の誕生日。父親のほんの一言のリクエストを見逃さず時計を贈った。そして母親はまだ還暦には遠い?のだけど、それでも同じ時間を過ごしているのだし、これからも過ごすのだし、ということで手首を予約するべくちょっとした時計を贈った(本当はペアであげられたらいいのだけど。。。(^^;))

嬉しそうな父親の顔が嬉しくて、あまりの嬉しさにシャッターを押すということはどこかへとんでいってしまったのだけど、それでも本当に良かったと思う。案の定手首が太い父親にはベルトのサイズが合わず、明日直しに出しに行く。この時計をつけてこれからも幸せな時間を刻んでほしいと思う。

そんなときに、最近色々あったんだと父親から、初めてだろうか、仕事の話を聞く。

僕は改めて父親を心から尊敬した。頭でどうこうという話ではない。理論でどうこうということではない。ただその現実に直面している人を第一義に考え、現実の中でやるべきことを、当たり前のように堂々と主張して上とぶつかっていく姿勢はどれほどに素晴らしい姿だろうか。苦しい状況に立たされても、それを一言も言わないところが父親らしいのだが(似てしまったかな、いやそんなに我慢強くないかな・・・))。
そしてその結果、仕事において父親の示す方向についていきたいと思っているひとがどれほど存在していることか。

僕にできることがあればしたい、そう思った。

嬉しそうに時計をもって寝室に向かう父親におやすみの挨拶をして、リビングでのんびりとビールを口にした。明日中の仕事もあるのだけど、今日は、父親の還暦の誕生日ということに甘えてゆっくりしたいと思う。
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by sagad | 2007-09-08 23:52 | Life
今日は父親の60歳の誕生日。いわゆる還暦だ。
仕事も今年度いっぱいで1つくぎりをむかえるようで人生の次のステージを迎えつつあるのだと思う。
自分が歳を重ねれば重ねるほど親に似ているところに気づき、親の偉大さに気づき、尊敬と感謝の気持ちが大きくなる。こういった気づきはこれからさき自分がもっと歳をとり、夫となり父親となり、というように親が通ってきた道を辿ることで大きくなっていくのだと思う(いつたどれるんだか)。
当たり前ながらその気持ちを伝えられる・直接還元できる時間は無限にはない。どれだけ親孝行してもそのときを迎えたときには後悔するものなんだろうと思う。

という話はさておき、めったに自分がほしいものを子供たちに口にしない(おねだりしない?)父親がぼそっとほしいものを口にしたこの還暦の誕生日。

それをもってこれから実家に帰る。

喜んでもらって、それをもってこれから先の時間をすごしてくれたらいいと思う。
祝える時間のなかで僕に限らず家族が持っているおめでとうとありがとうをめいっぱい伝えることができればと思う。
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by sagad | 2007-09-08 15:17 | Life

理想に重なる

Projectが佳境に入って久しい(長い佳境ってあるのか)。そんな中で日々様々なプレッシャーを感じながら動いていると自覚しないうちに自分の立ち位置が変わっていたりする。目的や理想があるから今の自分の立ち位置、ではなく、プレッシャー色々な理由があるから今の自分の立ち位置、という感じ。

そういうときはふと一歩引いて自分を見ると、平たくいうと”イケてない”ことが多い。

気の持ちようというのも多分にあると思うが、いろいろとあって、それらに追われて今の自分、というのではなく、何があってもこんな理想に部分的にでも重なっていたい/重なっていきたいから今の自分、と考えるとふっと心身が軽くなれる。

ボトムアップじゃなくてトップダウンで物事を見れるからってだけの話かな。もしかして。でも大事。

現状にもどかしい思いをすることもあるのだけど、その裏にはそれを解消して重なりたい理想があるからなのだと思うし。視点を変えていきたい。
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by sagad | 2007-09-07 03:09 | Business